例によって読書記録です。今回は「ヤノマミ」。
ずいぶん前にKindleでサンプルをダウンロードしていたのですが、ようやく購入して読みました。
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2007~2008年にかけて、ブラジルとベネズエラに跨る広大な森に住む先住民「ヤノマミ族」の集落にのべ150日にわたって同居して取材して書かれた本です。NHKによるドキュメンタリー用の取材で、NHKスペシャルとして放映されたようですがそちらは未見。
先日紹介したボルネオ島のプナンあたりの話なら、まあいろいろ問題はあるにせよ本人たちは楽しくやってそうだしな、とも思えるのですが※1、こっちはあまりに陰惨すぎる。
プナンの人たちは全員シャツを着てスマホで日本のAVを見ていたりしましたが、ヤノマミはといえば、こんな感じ。
ヤノマミの場合、二百以上という集落の「文明」度にはかなり濃淡がある。大型船の航行が可能な大河の近くに暮らしていたり、早い時期から伝道団がやって来た地域では、Tシャツとパンツ姿が当たり前で、流暢なポルトガル語やスペイン語を話すヤノマミもいる。だが、そこから奥に入れば、一万年前から変わらない狩猟・採集の生活を続けている集団もいるし、「文明」を知らずに隔絶されたまま生きている集団(イゾラド=隔絶された人々)も存在する。
ワトリキでは十年ほど前からパンツ・ナイフ・鍋などが入ってくるようになった。だが、女たちは〈ベッシマ〉と呼ばれる紅い腰巻を身に着けているだけだった。男たちの多くはパンツを穿くようになったが、それでもまだ七名が全裸で、ペニスの先端を紐で縛り、その紐を腰に回して結わえつけていた。
「ワトリキ」というのは著者が同居した集落です。
パンツ履こうが全裸だろうがそんなのはどうでもいいし、彼らは「ナシュヒク」と呼ばれるタロイモのパンとか狩猟してきた肉とか魚とかでまあまあ食えてはいるようです。狩りに取材班が同行しようとすると体力差がありすぎてついていけないくらいには体力もあります。
祝祭のための狩りを除けば、彼らは腹が空かない限り狩りには行かない。好きな時に眠り、腹が減ったら狩りに行く。起きて、食べて、出して、食糧がなければ森に入り、十分に足りていれば眠り続ける。「富」を貯め込まず、誇りもしない。
のんびりしているように見えますが、それでも男は家族を養わなければいけないので家族が増えると負担が増える、という話は後で出てきます。
年に一度、ラシャの祭りというのがあって、その時は他の集落からも客人が来て1か月ぐらい騒ぎます。大きな木の樽を作っていっぱいに「ラシャ※2の飲み物」を作ってもてる男は吐くまで飲まされる、というと「ラシャの飲み物」とは酒なのかな、と思うけど、どうもそうではないらしい。他の集落はともかくここワトリキでは酒の製造は禁止されているとのこと。さておきラシャの祭りで若い男女は夜中まで歌ったり踊ったりした後、茂みに消えてセックスする。割と性にはおおらかなようで、
確かに、百五十日の同居で見聞した限り、ヤノマミの人々は性に大らかだった。いわゆる「不倫」は日常茶飯事で、身体だけの関係や遊びにしか思えない性交渉も多かった。一方で人類学の研究書に書かれているような性に関する禁忌は殆どなかった。だから、多くの家族で明らかに顔が違う子どもが産まれたりした。ある母親がこう言った。「いろいろな人と〈ワンム(性行為)〉した方が楽しいとみんなみんなが言うから、隣村に行った時、男たちとワンムした。五人の子どものうち、二人はその時の子どもだ」
避妊具もないところでこんなことをしていれば当然子どもができます。
ヤノマミにとって、産まれたばかりの子どもは人間ではなく精霊なのだという。精霊として産まれてきた子どもは、母親に抱きあげられることによって初めて人間となる。だから、母親は決めねばならない。精霊として産まれた子どもを人間としてとして迎え入れるのか、それとも、精霊のまま天に返すのか。
ネットで見ている限り、NHK特集のヤノマミとして一番反響が多いところがこの部分(そりゃそうだと思いますが)。
そして、百三十日目、十四歳の少女が生まれたばかりの子どもを僕たちの目の前で天に送った。少女は未婚者で、子どもの父親が誰なのか、自分でも分からないようだった。少女は複数の男と情を交わしていた。懐妊から十回の満月が過ぎ陣痛が始まると、少女は痛みで泣き続けた。丸二日、泣き続けた。四十五時間後に無事出産した時、不覚にも涙が出そうになった。おめでとう、と声をかけたくもなった。だが、そうしようと思った矢先、少女は僕たちの目の前で嬰児を天に送った。自分の手と足を使って、表情を変えずに子どもを殺めた。動けなかった。心臓がバクバクした。それは思いもよらないことだったから、身体が硬直し、思考が停止した。
日本だって産まれる前なら人工妊娠中絶は合法です。だったらこれも「程度の問題」でしかないのかもしれません。しかし子どもの人権さておき母親だって平気なわけじゃない。
誤解のないように言っておきたいのだが、ヤノマミの女たちは何の感情もなしに子どもを天に送っているのではない。僕たちは、天に送った子どもたちを思って、女たちが一人の夜に泣くことを知っている。
これはやっぱり悲劇だし、野蛮なことだと思う。
ワトリキの集落の一番近くにある文明圏の機関は、FUNASA(ブラジル国立保健財団)が建てた保健所のようです。
保健所が設置されてから、ワトリキでも死者の数が劇的に減った。特に新生児の死亡率は三十パーセントから二パーセントにまで減った。
いいことだ。
この時代、NGOが教育・留学プログラムを推進していて、青年アンセルモが第一期生として七年間先住民を対象とした学校で学んだとのこと。帰郷したアンセルモを見た長老の言葉。
「あいつは、身体はヤノマミでも、心はブランコ(白人)だ」
ある三、四歳の子どもに心臓に先天性の異常があって、手術をしない限り長くは生きられないので保健所は手術を勧めたが、ワトリキの長老はそれを却下した。
そのことについて長老の一人に聞くと、彼は「子どもは既に精霊になっている」と言った。
だが、母親は子どもを連れて毎日のように保健所に通った。保健所には心臓病を治療するための設備も薬もなかったから、看護助手はビタミン剤を与えるしかなかった。母親は高熱を下げる薬やマラリアを治す薬の効果を知っていただろうから、その丸いビタミン剤が魔法のように子どもの病を治してくれると信じているようだった。
マータという四十代半ばくらいの女性が、保健所によれば子宮筋腫、あるいは子宮癌の疑いがあるとのことで、若者は町の病院に送ることを提案したが長老全員に却下された。シャーマンが集まってシャボリ(祈祷)ばかりやっているがそんなもので治るはずもなく。
さらに数日後のことだった。アンセルモとモザニアルが実力行使に出た。時代劇の籠のようにハンモックを木に括りつけ、マータを寝かせたまま保健所まで運び始めたのだ。僕らが近づくと、モザニアルは緊迫した表情で「来るな」とだけ鋭くいった。マータの運搬には数人の若者が加わったが、誰もが硬い表情を崩さなかった。
セスナがやって来たのは二時間後のことだった。マータはセスナに乗せられ町の病院に搬送された。(中略)
マータがワトリキに帰ってきたのは三か月後のことだった。雨季の最中だった。正確な病名や、どのような治療が施されたのか、保健所の看護助手には分からないということだったが、マータはすっかり元気になって帰って来たようだった。栄養状態も良かったのだろう。顔色はよく、身体にはいくぶん脂が付いていた。そして、戻った翌日から畑に出て働いた。
本当、若者たちよくやったよ……
重要なことは、シャボリで治らない場合は病院に搬送するという一つの前例ができたことだった。しばらくして、心臓病の女の子も病院に送られることになった。
よかったー。
現代医療で普通に治る病気が、医療にアクセスできないために死んでしまうのであればそれは重大な人権侵害だし、「長老」が医療へのアクセスを邪魔しているならそれは罪だと思うんですよ。
こういう「未開」の人たちを「未開」のまま置いておくのは、文化人類学者は研究対象が残って嬉しいかもしれないけど、人の道には反していると私は思います。
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