ちょっと前に星新一のエッセイを再読した流れで購入しました。「きまぐれ博物誌・続」
いきなり「続」を買っているのは、おそらく「続」でない方の「きまぐれ博物誌」は若いころに買っていて実家にあるからです。確認してませんけど。どうせあらかた忘れているので買ってもよいかもですけれども。
この本には「アポロ11号」の話があるのでおそらく1969年前後のエッセイを集めたものです。内容は多岐にわたっているのでここで簡単に紹介するのは難しいですが、SF作家のエッセイなので未来についての記述もあります。今となっては意地の悪い読み方もできる。
以下、例によって『』内は引用です。まずはコンピュータについて。
『さらにべつな面でも、世の多くの人はコンピューターに不安の念を抱いているようだ。コンピューター時代開幕の声がはなばなしく、それなら勉強でもしようかと解説書を買ったとする。そのはじめのほうには、原理や構造や開発の歴史などが書かれている。もう、そこで拒絶反応が心にめばえてしまうのだ。』
『エレクトロニクスの知識ゼロにもかかわらず、私たちはテレビを楽しむことができる。薬理学は知らないが、私たちははなはだ売薬好きである。文明の進歩とは、成果を容易に享受できることだと思いこんでいた。それなのに、なぜコンピューターだけは例外なのか。原理への理解が要求された品物は、文明開化以来これがはじめてではないだろうか。』
『私の感じでは、これは過渡期における、俗な言葉でいえば「こなれていない」現象で、やがては日常生活のなかにとけこみ、原理はわからないが便利な装置として位置をしめるのではないかと考えている。』
当時、コンピュータが「原理や構造や開発の歴史など」を知らないと使えないものだったのかは私は知りませんが、「やがては日常生活のなかにとけこみ、原理はわからないが便利な装置として位置をしめるのではないかと考えている。」というのはその通りになりましたね。みんな、私を含めて、スマホの原理などわかっちゃいない。
『じつは私は、未来には酔っぱらい禁止令が施行されるのではないかと思っている。』
ああ、これはそのうちそうなりそう、と思いますが、
『しかし、飲むなでなく、酔うななのである。そのような時代になれば、急速に酔いをさます薬品ができることはまちがいない。仕事の時に酔っていなければいいのである。
酒の産業はいまの倍以上に伸びることとなろう。バーで飲んだら、薬で一瞬のうちに酔いをさまして、高速自動車で帰宅する。だが、なにかものたりなく、もう一回あらためて飲みなおすはずである。自宅で飲んでいる時も、外国からのビジネスについてのテレビ電話がかかってきたら、酔いをさまして応対し、すぐあと、またはじめから飲みなおす形になる。消費者もそれで満足する。どこかおかしい気もするが、人間とはもともと不完全なもので、だからこそ人生が楽しいのだ。』
一瞬で酔いをさます薬はまだできてませんが、いやさ私だって酔っぱらうためだけに酒を飲んでるつもりではないのですが、酒を飲んで、一瞬で酔いを醒ます薬を飲んで、さらにまた飲む、というのは、酒造業者はもうかるかもしれませんがやっぱりどこかおかしい気がする。
下北半島に行ってきた後のエッセイ。下北半島むつ市ではこのころ製鉄所を作る話があったのに『昭和三十九年の秋に至って、事業として採算があわないと三菱系がとつぜん手を引き、この計画は煙のごとく、あっというまに消えさってしまった。』とのこと。で、そのあと降ってわいたのが、原子力船の話。
『むつ市の名は、すこし前にも新聞に大きくあつかわれた。原子力船の定係港、すなわち母港として指定されたのである。原子力船の燃料補給、修理、乗員訓練などをおこなう基地のことだ。昨年の八月になんの予告もなしに発表され、地元の人びともびっくりした。』
『製鉄の夢の消えた呆然が続いていたため、むつ市はすなおにそれを受け入れた。もちろんいくらかの不安は感じたが、学者をまねいて質問点をただし、安全性と将来性をなっとくしたのである。』
で、1974年には放射線もれを起こしているわけで、安全性と将来性をなっとくすべきではなかったのでは。
核兵器について。
『人類を何回も絶滅できる量がすでにありながら、持ちたがっている国がまだまだある。とどまるところを知らない。国家というものがあるためである。国家のあることで、どんなに大きく不合理なムダがなされていることか。科学技術の目覚ましい発展のまえに国家なるものはすでに消滅しているべきなのかもしれない。
二十一世紀になっても、いまと大差なく国家なる形態が存続していたら、それこそ前世紀の亡霊である。最大の妖怪といえそうだ』
当時と大差なく国家なる形態は存続していますねえ。後退すら感じる。確かに最大の妖怪かも。
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