K.Maebashi's blog

ちょっと前の読書(ジョージ・オーウェル)


久々の読書記録です。

ここにも書いたように先月タイに行ったのですが、ひとり海外旅行ともなれば飛行機に乗っている間とか空港の待ち時間とか(空港初心者は不安で早く行ってしまう)で手持無沙汰な時間ができます。そんな時、Kindleで本を読んでいました。

なぜか今回読んだのはジョージ・オーウェルの本。ジョージ・オーウェルといえば誰でも知っているのは「1984年」だと思いますが、「1984年」はずいぶん前にKindleでサンプルを途中まで読んだきり放置状態で、今回、たまたまネットで流れてきた「パリ・ロンドン放浪記」を読みました。

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ジョージ・オーウェル自身の極貧時代について、自分で書いた作品です。パリでは小汚いホテル(というか、ドヤというか、簡易宿泊所)に泊まって高級ホテルの皿洗い、その後イギリスに渡って(ジョージ・オーウェルはイギリス人なので、イギリスに帰って)、スパイク(浮浪者臨時収容所)を転々とします(当時の収容所は、1泊しかできなかったらしいので、転々とせざるを得ない)。
読んでみるとまあ、現代が楽園とも思えませんけれど、世の中ちょっとずつでも改善しているのだなあ、と思いますね。以下、『』内は引用です。

『労働時間は朝の七時から午後の二時までと、五時から夜の九時まで、つまり十一時間だったが、食堂の交代勤務をする日は十四時間だった。パリの皿洗いの普通の標準では、これは例外的な短さなのだ。』
『一日十八時間労働で、週七日勤務である。この労働時間は、ふつうとは言えないまでも、パリではとくに異常というわけではない。』

たいへんなのは貧乏人ばかりでもありません。金持ちの生活もろくなもんじゃない。
『たとえばステーキをコック長に検査してもらいに持っていっても、彼はフォークで扱ったりはしない。指先でつまみあげるとピシャリと皿に叩きつけ、親指で皿のまわりをぐるりと拭くと、舐めてみて肉汁の味をみてから、もう一度ぐるりとやって舐め、その上で一歩さがって画家が絵を検討するように肉切れをじっと眺めてから、こんどはピンク色の太い指先でいとおしむように皿のしかるべき位置に押さえつける。その指はどれもこれも、朝のうちにもう百回も舐めたものなのだ。これでよしとなると、コック長はふきんを取って皿の指紋を拭きとり、ウェイターにわたす。するとウェイターももちろん、こんどは彼の指を肉汁に突っこむポマードのついた髪をしじゅう搔きまわしている、べとべとした汚い指だ。パリで肉料理ひとつに、まあ十フラン以上払ったとすれば、まずこういう具合にいじられたと考えてまちがいない。うんと安いレストランなら、話はちがう。そこではこんな手数はかけず、手でいじったりはせずに、ただフォークで鍋から皿に移すだけだから。大体において、食べ物には高い金を払えば払うほど、それだけ余分な汗と唾をいっしょに食わされることになる。』

イギリスで、『週に一度浮浪者にただでお茶を飲ませてくれる教会』に行った時の話。

『慈善を受ける者は、必ずと言っていいほど、与えてくれる人間を憎むものだそれが人間性の抜きがたい性癖なのである。そこで、味方が五十人なり百人なりいるとなれば、その憎しみをあらわにするのだ。』

このあたりは現代にも通じるものがありますね。

これの次には、やっぱり定番として「一九八四年」を読みました。

訳者あとがきより:
『読んでいないのに、見栄によるのか礼儀によるのか、読んだふりをしてしまうという経験は万国共通らしく、英国でもかなりの人が身に覚えがある、と拷問にかけられなくとも告白しているらしい。しかも英国での「読んだふり本」第一位がオーウェルの『一九八四年』だというのである。』

サンプルだけちょっと読んで何年も放置した私が偉そうなことを言えるものでもありませんが、とりあえず「読んだふり」はしなくてもよくなった。

内容についてはネタバレになるので書きませんが、Wikipediaから一部引用しておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1984%E5%B9%B4
『アイザック・ドイッチャーは1955年に書いた『一九八四年 - 残酷な神秘主義の産物』の中で、ニューヨークの新聞売り子に「この本を読めば、なぜボルシェヴィキの頭上に原爆を落とさなければならないかわかるよ」と『1984年』を勧められ、「それはオーウェルが死ぬ数週間前のことだった。気の毒なオーウェルよ、君は自分の本が“憎悪週間”のこれほどみごとな主題のひとつになると想像できたであろうか」と書いている[18]。 』

この本は、全体主義批判の本ではあっても、必ずしも共産主義批判の本ではない。だいたいオーウェルはPOUM(マルクス主義統一労働者党)の義勇兵として戦ったこともある(そして死にかけた)人なので。

『おおきな栗の木の下でー
あーなーたーとーわーたーしー
なーかーよーくー裏切ったー
おおきな栗の木の下でー』

次。「一杯のおいしい紅茶」

これは軽めのエッセイ集ですが、なかなか楽しい。後半は手紙(私信)とか、動物農場のウクライナ版序文とかも収められていて、ちょっと寄せ集め感はありますが。

『「機能的」ということしか考えず、家中の部屋を、どこもかしこも刑務所のように寒々と清潔で手間のかからないものにしたがる人がいる。家というのは生活の場なのだから、部屋に応じていろいろ変えなくてはいけないのに、そういうことを考えない。 』
手間がかからないことはいいことだと私なんかは思いますが、オーウェルは古風なのが好みのようで。

次。「動物農場」

動物たちが革命を起こして農場から人間を追い出した、その後を描いた物語(童話チック?)です。
豚のナポレオンのモデルが誰なのか、まあ誰にでもわかるでしょうが、別に旧ソ連に限った話でもなく、「絶対権力は絶対に腐敗する」のが世の鉄則なんでしょうね。


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