K.Maebashi's blog

もうちょっと前の読書(やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記)


順番としては前回書いたジョージ・オーウェルよりも前に読んだのですが。
小松左京の「やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記」、タイトルの通り、ふたつの作品を同梱した文庫本(私が買ったのはKindleですが)です。

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やぶれかぶれ青春記の方は、旺文社の受験生向け雑誌『螢雪時代』に連載されたもので、受験生のような若者に向けて書かれたものです。ただ、小松左京ぐらいの年代の人の「青春記」となるとどうしても戦争が関わってくるし、陰惨きわまりない。

かなり長くなりますが、引用します。

『焼け跡と闇市の中では、今から思えば、考えられないような事がいくらも起こった。──当時、戦災孤児戦災孤児たちは、いわゆる浮浪児となってうろついていたが、この連中が、ほんの四つから七つ八つぐらいまでの子供のくせに、何とも恐ろしい連中だった。おとなが闇市で売物をのぞいていると、その連中が四、五人チョコチョコとやってくる。ブカブカのアメリカ兵の帽子をかぶり、靴みがき台をぶらさげ、垢まみれで、白い眼を光らせ──いわゆる靴磨き小僧たちである。この連中のボス格のやつが、どう見てもせいぜい八つぐらいのチビで、こいつがタバコをスパスパ吸っているのだ。
そのうち、そいつが闇市をのぞいているおとなの後ろに近づいて、煙草の火をおとなの手にちょいとおっつける。
「アツイ!」とおとなが思わずさけぶと、「おう、オッサン、文句あるのか。ちょっとこいや」と、おとなの手をひっぱる。──おとなはあっけにとられていると、五つぐらいのチビが後ろから脚をけっとばし、四つぐらいのチビが手にかみつくというわけだ。呆然としたまま、すぐそばの焼け跡にひきこまれると、いきなりレンガで頭をなぐられ、鉄棒でつきたおされ、身ぐるみはがれてしまうのだ。ほかのおとなたちは、おそろしそうに遠まきに見ている。私も舌の根が乾くような思いで見ていた。考えても見るがいい。今でいうなら幼稚園から小学校低学年ぐらいのチビどもだ。ハリとばせばいっぺんだろうが、あまりの異常さに気味が悪いのと、背後に誰かがいるのかと思って手が出せないのである。
私にした所が、一度はこういう連中に、背後から後頭部に石をぶつけられ、もう一度は六つぐらいの男の子と四つぐらいの女の子にピストルでうたれた。この二人は路地裏で、電柱に犬をしばりつけ、小型ピストルでうっていたのである。
そのほか、ずいぶんいろいろな事が起こった。私の戦後初めて片想いの恋をした同学年の女学生は、四年生のとき浮浪者に強姦殺人の目にあった。私の小学校時代の同学年の女の子は私がまだ中学にいるころにパン助になってしまっていた。
こんな事はいくら書いてもしかたがあるまい。あんな悪夢のような時代は、とても説明しきれないだろうし、もう二度とこないだろう。心から──本当に心から、あんな時代が二度とこない事を、五つ六つの子供が、悪魔か野獣のようになってしまい、君たちのういういしいガールフレンドが、死ぬよりもおそろしい目にあうような時代が、二度とこない事を祈りたい。』

まったくです。

大阪万博奮闘記は、小松左京が大阪万博(1970年のですよ!)に関わったときの話です。

小松左京が「万国博を考える会」というごく私的な研究会を立ち上げてみたら、なぜか万博本体に深くかかわっていくことになった、という話。最終的な肩書は「岡本太郎から個人的に依頼を受けた」という建前で「テーマ展示サブプロデューサー」になったようです。
以下引用。

『この点はいくらくりかえし強調しても、強調しすぎということはない。万国博を開催するのは全世界の「よりよき明日」への手がかりをつかむためであって、万国博そのものは、その手がかりをつかむ手段にすぎない。一九七〇年万国博が、たとえその実際効果と影響は、現在からは予測しがたいとしても、何らかの形で、明日の世界にプラスになるようなものになり得るという確信がなくては、──そして、そのようなものにしようという決意がなくては、われわれは万国博に情熱をそそぐこともできないし、そのような意図にそって参加各国を説得する情熱もわかないだろう。』

今度の万博にこういう気概はありますかね。

小松左京つながりで、こっちも購入。

小松左京は中高生の頃に散々読んだので、こういう最近作られた短編集を買ってもあらかた読んではいるのですが、かなり忘れていて再読でも新鮮ですし、どうも未読のものもあったようです。その中の一本が「天神山縁糸苧環」。

内容さておき中の記述で気になったのが、南京虫の話。最近また話題になっているトコジラミです。

『こいつは昼の間、柱の割れ目や畳の間にはいっていて、夜になるとはい出して来て、蚊帳の中にもぐりこんでくる。ペッコンペッコンと音のする罐入りの黄色い蚤取り粉を、蒲団のまわりに二重三重に、畝をつくるほど撒きちらしても、そんなもの平気の平左で突破してくる。赤ン坊などは夜泣きしてやせほそるという寸法だ。──こいつをつかまえるのに、妙な話だが、蒲鉾板ぐらいの大きさの板に、小さい穴がいっぱいあいたのをつかう。この板を蒲団のまわりにぐるりとならべておくと、明け方、木の割れ目や穴にもぐりこむ習性のある南京虫が、板の穴の中にはいりこむ、と言うわけだ。南京虫どもがぎっしりはいりこんだ板を、明け方表に持って出て、歩道の石にこんこんぶつけて虫を新聞紙の上にたたき出し、火をつけて燃やすのである。』

南京虫の話は前回書いたジョージ・オーウェルの本にも出てきていて、「パリ・ロンドン放浪記」ではなにしろ貧乏なオーウェルはろくでもないところにばかり泊っているので南京虫にも悩まされます。それに対する「確実な対策」が「こしょうを夜具の上に厚く撒く」とのこと。
コショウが南京虫対策になるという話は「一九八四年」にも出てきます。

『暑さのために南京虫がぞっとするほど増えていた。でもそれは気にはならない。汚かろうと清潔だろうと、その部屋は楽園なのだ。到着するなり、闇市で買い入れたコショウをありとあらゆるものに振りかけると、来ていた服をかなぐり捨て、汗ばんだ身体で愛し合うのだった。そして眠りに落ち、目が覚めて気づけば、南京虫が再集結し、群れをなして逆襲に転じようとしている。 』

主人公とヒロインのラブシーンにしては、不潔な話……

しかし、コショウが南京虫にそんなに有効なら小松左京の時代でも使われていたのでは、と思うのですが、実際のところどうなんでしょうね。



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