また読書記録です。以前にも書いた「アヘン王国潜入記」。
著者の高野さんが、ミャンマーの「ワ州」というところで、アヘンの原料になるケシを作っている村(ムイレ村)に7か月住み込んで、ケシの栽培や収穫を体験する、というノンフィクションです。
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先日、「酒を主食とする人々」を取り上げるにあたり、著者の高野さんがアヘン中毒になるあたりの描写を読みなおしたくてそのあたりから再読を始めたのですが、結局最後まで読んで、また最初に戻って、結局1周読んでしまった。再読というか、たぶん3周目くらいです。
以前読んだときは、ムイレ村でアヘンを作ったりアヘンを吸ったりしているあたりの描写が印象に残っていたのですが、今回、こうやって「後半を先に読む」読み方をしたせいか、本書における戦争の影が気になってしょうがない。影も何も表紙写真からして銃を持っているわけですが。
この本の舞台である「ムイレ村」はビルマ(ミャンマー)の「ワ州」というところにあるのですが、ワ州はかつてビルマ共産党に支配され、ビルマ政府軍と戦っていたそうです。以下、『』の中は引用。
『「ビルマ共産党の時代はほんとうにひどかった。どうして、わしらがよその土地まで行って、関係のないビルマ軍と戦わなければならないのだ。わしなんか、ほれ」と言って、おやじさんは顎をしゃくった。見ると左腕がなく、シャツの袖がだらんと垂れ下がっていた。』
その後、軍内クーデターで共産党は追い出されたけど、軍隊は残った。ワ軍は反政府ゲリラということになりますが、実際には政府軍と戦ったこともなくて、この本の取材時には政府軍とは停戦していて、政府軍と一緒にクンサーという別の反政府ゲリラと戦ったりしている。著者はムイレ村に行くにあたりワ軍のトラックに便乗させてもらったのですが、
『ほかに三人、古びた銃を抱えた兵士がうずくまっていた。どう見ても十五、六歳ぐらいである。顔はあどけなく、身体も小さい。聞くと「これからクンサーと戦いに行く」と答えた。
私はチェンマイにいたとき、やはり同じ年くらいのクンサー軍の兵隊を何人も見ていたから、さすがに胸が痛んだ。戦争とは、その意義も知らない子どもにやらせるものなのだろうか。チェンマイのあの少年兵とここにいる少年たちが殺し合いを演じるとは信じがたかった。』
ムイレ村にも戦争に出ている者もおり、戦死した人も多いので未亡人が多い。
『アイ・スンによれば、村から兵役に出ている者は三十名にも及ぶという。全戸数六十二。一戸につき平均五人家族とすれば、村の人口は推定約三百。そのうちの三十人だから、約一割が軍隊に加わっていることになる。すごい数、すごい比率。ムイレはまさに「銃後の村」だった。』
ワ軍が戦っていたクンサーは、本書の取材の途中で政府軍に降伏します。ということはワ軍と政府軍は勝ったのか、というとそうでもなくて、本書によればクンサーはとっくに政府と癒着していて、ワ軍は「はめられた」とのこと。ヘロインの原料となるアヘンを作っているというのはまあほめられたことではないわけで、このクンサーの「降伏」によりワ軍は国際的非難の矢面に立つことになります。
『以下は、のちにチェンマイで、クンサーから放り出された連中に聞いた話だが、クンサーは以前からビルマ政府と深く癒着しており、今回の突然の帰順もシナリオどおりであったという。山のなかの生活に飽きたクンサーは、軍隊の解散と引き換えに、わが身の安全を確保した。そればかりか、政府の資金援助を受けて、宝石会社やバス会社を設立したという。』
『クンサーは軍を解散することで、かたやビルマ政府はクンサー軍を解散させたことで、アメリカや国連の非難をかわし、代わりに、クンサーにとってはビジネス上のライバルであり、ビルマ政府にとっては国内で最も厄介な存在になっているワ軍を国際的非難の矢面に立たせようという腹なのだ、と。』
著者の高野さんは、ムイレ村の住民とまたブライコー(現地の酒)を飲みたいと再度ワ州入りを画策しますが、いろいろ厳しくなって行けなくなっていた、どころか、前回のワ州入りで保証人になってもらった「サイ・パオ」さんが暗殺されて、もう本当に二度と行けない土地になった、とのこと。
「サイ・パオ」暗殺も1998年の話です。ミャンマーは最近も軍のクーデターがあってさらに混迷を極めています。それぞれ事情はあるんでしょうが、やっぱり人殺しや戦争はだめですよ。
その後、アヘンを吸う描写を読んだら小松左京の短編「岬にて」を読みたくなったので「ゴルディアスの結び目」を出してきた。
「岬にて」にはアヘンを吸うシーンがあります。
『テッドは、角砂糖ばさみではさんだ、アルミ箔の皿を蠟燭の炎にかざし、その上で灰褐色からセピア色に変色しつつある脂状のものを、小さなフォークで丹念にかきまぜつづけた。──外はまっ暗で、風は相かわらずがたがたと窓をゆすっている。電灯は消し、テーブルの上のランプと蠟燭の明り、それに暖炉でパチパチと音をたてている泥炭の炎だけが室内を照らしていた。すっかり塊りがとけて、とろとろになった脂状のものを、テッドはテーブルの上においた阿片煙管の火口に、注意深く、ほとんどのこさないようにかき入れた。──それがすむと、にっこり笑って、煙管をクワン師にさし出した。』
やり方が正しいのかどうかは知らない。小松左京は結構いい加減なことも書くからな。
「岬にて」は短編ですぐに読み終わったのですが、結局表題作「ゴルディアスの結び目」の再読を始めてしまっている。
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