K.Maebashi's blog

だいぶ前の読書(日本アパッチ族)


PC買い替えたりAACRの記事を書いたりしていたら、読書記録のほうがたまってしまいました。
小松左京の「日本アパッチ族」は中学生化高校生くらいの頃に読んで(この頃の日本の少年は星新一、小松左京、筒井康隆の御三家のSFは読むことになっている)、以後、何回となく再読しています。現在、手元には文庫版をScanSnapでスキャンしたPDFがあるので、今回それをタブレットで読みました。Kindle版の小説と違って文字を大きくしたりできないのでスマホでは読めない。だから隙間時間でちょっとずつ、ではなく、ゴールデンウイークに読んだのだと思う。ほらたまってしまっている。

アフィリエイトリンクです。
https://amzn.to/3FyNvJy
上記の通りスキャンしたPDFで読んだのでKindle版は買ってないのですが、試し読みで見たところ、文庫ならp.16に載っているはずの「アパッチ発生地付近地図」が載ってない? えー。

舞台は、憲法が改正されて、軍隊を持ち、憲法の「権利」の大半が「義務」に書き換えられた日本。時代はおそらく1960年代(この作品の発表時)頃。第二次大戦の廃墟の屑鉄を食べて体が鉄になった「アパッチ」族の話です。

鉄を食べて体が鉄になるという、設定からして荒唐無稽な話で、文体にはユーモアもあり、子どもの頃はゲラゲラ笑って読んでいられたのですが、年のせいか最近はそんな感じで読めなくなっている。だいたい、巻末の解説によれば、作者自身が発表当時こう語っているとのこと。

『これは悲しい物語です。――日本は、この<アパッチ>の始末に困り、ついにこの種族と衝突して、日本は<アパッチ>にほろぼされてしまうのですですが、アパッチは、日本の社会自身がうみ出したものです。私は<アパッチ>を愛しています。それが私のムチャクチャだった青春のエネルギーの変型かもしれないからです。同時に私は<アパッチ>をにくみます。それがこの架空の物語の中で、私の愛する日本を、ほろぼしてしまうからです』

この「解説」も何度も読んでいて、この小松左京の言葉も覚えていたのだけれど、本作が「悲しい物語」と思えるようになったのは割と最近な気がします。終盤、アパッチと人間(日本人)が戦争をして、最後にはアパッチが勝つわけですが、人間側に肩入れして読むなら当然のこと、アパッチに肩入れして読むにしても、結構アパッチ側にも犠牲者出ているし。

アパッチの大酋長が「日本中を廃墟にしてもかまへン! ――徹底的にぶちこわせ!」と「廃墟作戦」を発令した時の、アパッチ側に軍事顧問団の格でついていた人間の知識人の言葉。

『「なんということをするんです!」と彼らは大酋長につめよった。「あなたは――この国の歴史的遺産を破壊しようとするんですか! 戦いのあと、また人々の生活が始まるということを、考えないんですか?」』

人命はもちろんのこと、文明だって、ぶっこわしてしまったらそう簡単には作り直せませんからね。

【追記】
「まえがき」には、こんなことが書いてあります。
『――だが、この巨大な、牙をむく廃墟へ向かって敢然といどんだ、おそるべきエネルギーにみちた人々がいた。
これこそ、あの有名な屑鉄泥棒――通称「アパッチ族」だったのである!
彼らは神出鬼没、官憲の取締りをものともせず、警備の目をかすめ、ときにははなばなしい乱闘を演じ、あくことなくこの廃墟をおそった。いや、彼らは廃墟からそのアナーキイはエネルギーを吸収し、廃墟と共に生きていたのである。
(中略)
こうして、私は「アパッチ」の物語を書こうと思い立った。それはもはやあの屑鉄泥棒のことではなく、無秩序なエネルギーにみちた、「廃墟」そのものの物語である。(後略)』

この「私」は作者小松左京のことであり、屑鉄泥棒アパッチは戦後に実在していたそうです。

ハルキ文庫版なら解説に説明があるのか……
https://chiyogasaki-supporter.jimdofree.com/the-apache-and-the-chiyogasaki



このエントリーをはてなブックマークに追加

この記事へのコメント:

コメントを書く

名前: