以前読んだ「ヤノマミ」を書いた国分拓さんの本です。
「ノモレ」
アフィリエイトリンクです。
https://amzn.to/4ilmusf
なんというか……変な本です。
内容は「ロメウ・ポンシアーノ・セバスチャン」というペルー先住民の子孫の青年を主人公とした三人称小説のような形式で進みます。
ロメウさんは実在するし、amazonで解説を見ると、
突如現れた未知の先住民は仲間(ノモレ)か、それとも敵か。現代の価値観を根底から覆す圧巻の記録。
と書いてあるので、ドキュメンタリーなのでしょう。でも、ロメウがこう思った、みたいなことを山ほど書かれても、どれぐらい本当? と思いたくなる。
amazonレビューを見てみると、
何を読まされているのか、いつまでたっても明かされない
予備知識無しで読み始めたが、これがフィクションなのかノンフィクションなのかがわからない。
主人公の顔写真があるからノンフィクションなのだと予測したが、なぜ日本人名の著者が日本語で南米先住民の内心まで詳述してるのかわからない。
内容は興味深いのに、この宙ぶらりんにどうしても耐えきれず脱落した。
なんてのがあって、これは私も同意。他のレビューでは
ノンフィクションではない
日本の反対側にはこんなことも起こっている、という印象。
実在の人物の目を通して見たという事実ではあるだろうが、著者が創作した物語であって、ノンフィクションと呼んでいいのか少し疑問だ。いわんやポエムは必要ない。
いやさ、実際、ところどころ謎のポエムが長々と挟まるんですよ。
以下、一部ネタバレを含みます。ネタバレが問題になるような本とは思えませんがちょっと空けます。
この本の構成としては、冒頭の「序」は100年以上前の話、本編は「第一部」の1章から5章までが2015年の話、6章からは2013年の話、そして第2部からはまた2015年の話に変わります。なんのためにこんなわかりにくい構成にしているのか、なんかの効果を狙ったにしてもさっぱり効いてないと思うのですが。
「序」は100年以上前の話で、ゴムを取りにアマゾンにやってきた白人に奴隷にされた先住民が、逃げる途中で(全滅しないように)二手に分かれて片方は無事逃げ切れた。この無事逃げ切れた方が主人公ロメウの先祖です。先祖代々、二手に分かれたもう片方であるノモレ(仲間)を探してくれ、と言い伝えられている。
で、2013年。元先住民と言ってもエンジン積んだボートであちこち行き来するほど文明化されたロメウたちのところに、裸の男たちが姿を現す。ロメウたちは探し求めたノモレがとうとう現れたと大喜びし、バナナを手土産に持って行って対話するがはっきりしない。そうこうしているうちにバナナが尽きる。
だが、それも底を突いたとき、モンテ・サルバードの人たちはノモレにこう言うしかなかった。
もうバナナがないのだ。バナナが実るまで、待っていてはくれないか。ノモレは一斉に、不満の声を上げた。
その後どうなるかというと、2014年の暮れ、集落の人たちの大部分が選挙のために移動したすきに、彼らは集落を襲います。恩も礼儀もあったもんじゃねえ。本書の中では2015年の終わりごろまで語られますが、そのころまでこの集落の人たちは避難民のままです。
そして、2015年、この集落とは離れたところにまた裸の男たち(こういう文明から切り離された人のことをイゾラドと呼びます。語源はisolatedと同じらしい)が現れ、そのうちの1家族とロメウたちが接触します。
イゾラドは我々なら普通に持っている病気の免疫がなかったりするので、基本、接触は禁じられているのですが、怪我人がいると言われてロメウは禁を犯して医者を呼んで彼らを手当てします。そして、その後、またバナナを持って行って対話するのですが、当然、またバナナが足りなくなることが予測されます。
とりあえずロメウは、最初の一歩として、バナナの保存方法を教えることにした。 クッカたちは、熟したバナナしか食べない。そのまま食べるだけではなく、焼いて食べることまでは知ってはいるが、それでは、バナナは数日しかもたない。彼らが現れるのは数日に一度。バナナを食べ尽くしてやって来るのは明らかだった。
イネ族には、古くから伝わるバナナの保存方法があった。地面を四、五十センチ掘り、まだ熟していない固いバナナを埋めるのである。日陰の土の下は驚くほど冷暗だ。一カ月近くは日持ちする。
ロメウは接触のとき、まだ熟していないバナナを持って行き、クッカたちに実演して見せた。
しかし、クッカたちは、まだ到底食べることのできないバナナを見て、気分を害しただけだった。バナナが欲しい。バナナを持ってきてくれ、と何度もロメウに言った。
「クッカたち」というのは接触したイゾラドの家族です。まあなんというか、衣食足りて礼節を知ると言いますが。
イゾラドにしてみれば、「文明側」の人間を警戒する理由はあります。なにしろ100年前にゴムを取りにきた連中に奴隷にされたわけだし、その後も違法に森林を伐採しようとする連中に銃で殺されたりもしているらしい。ロメウたちももとは先住民とはいえ(多少は言葉も通じる)、服を着てエンジン付きのボートに乗るような生活をしているわけだから向こうにしてみれば「文明側」の人間でしょう。それにしても、ねえ。
最終的に、クッカたちは、急にやってきた観光客にカメラを向けられて、警戒して二度と現れなくなります。2013年にやってきたイゾラドとクッカたちが同じ集団だったのか、そして彼らが100年以上前に分かれた「ノモレ」だったのか、それらは一切明らかにされません。まあ、フィクションじゃないなら、現実はそんなもんかもしれませんが。
こういう文明から切り離されたイゾラドをどう扱うかについて、「イゾラドはイゾラドのままでいるべきだ」という考え方があるようです。本書に出てくる医師メイレレスさんは、それが「全くの正論だ」としたうえで、そうはいっても不法な伐採人とかと接触して銃で殺されたり病気をうつされたりしては滅んでしまう。
三人のイゾラドが拠点に駆け込んでから半年後、メイレレスは初めて、彼らの笑顔を見た。そして、こう確信したのである。イゾラドとして生き、やがて死んだり殺されたりするより、森から離れても人として生き永らえるほうが正しいのではないか、と。
ロメウもこういうことを考えたりします。
いったい彼らは、何歳ぐらいまで生きることができるのだろうか。天寿を全うする人はどれくらいいるのだろうか。孫や曾孫に囲まれ、集落で静かに息を引き取る者など、果たしているのだろうか。
イゾラドが実在するということが明らかになるにつれ、ペルー政府もイゾラドに対する指針(プロトコル)を取りまとめます。このプロトコルでも初期段階では接触は原則禁止なのですが、ある程度接触が進むと「イゾラドはこの三つの段階を経て文明社会の一員となっていく」そうです。
プロトコルには、イゾラドを「文明化」する際、彼らに文明化の意思を確認すると書かれている。
しかし、何をもって意思の確認だとするのか。また、どのように意思を確認するのか。明確な規定がない。文明化という概念はもとより、文明化が意味する様々な具体的なことについて、どのように説明していくのか。言語で伝えるのか。身振り手振りなのか。実際にどこかに連れていくのか。具体的なことは何も書かれてはいない。
「文明化の意思」といっても、文明化するとどうなるのかわからないなら意思の確認のしようがないでしょう。
「ヤノマミ」では現代文明の医療について知りもしない長老連中が病人を「文明側」の医者に診せず祈祷ばかりやっていて殺しかけた(そして、現代文明に触れた若者たちが実力行使に出て病人は助かった)。
「イゾラドはイゾラドのままでいるべきだ」なんて考え方は正論でもなんでもなく重大な人権侵害なんじゃないですかね。
この記事へのコメント:
コメントを書く
名前: