生物関係の本が続きます。「生物はなぜ死ぬのか」。
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既知のことも初めて知ったこともありましたが、ふつうに生物学の本なので、これを読んでも死生観は一変しないと思う。
帯の、『遺伝子に組み込まれた「死のプログラム」とは?』というのを読んだら、ああテロメアかな、と思うでしょう。実際テロメアの話も出てきます。
テロメアと言えば思い出すのが「大西科学」さんのこのページ。テロメアのわかりやすい説明になっていると思います。
http://onisci.com/752.html
細胞分裂のたびに、DNAの「つかみしろ」であるテロメアがちょっとずつ短くなるので生物の細胞は分裂回数に限界がある(50回くらい)。もちろんそれだけでは困るので幹細胞から新しい細胞が供給されるわけですが。
ところで、体細胞からクローンを作ると、クローンのテロメアは、ドナーの年齢分だけ最初から短いので早死にする、という話があって、たとえばガンダムSEED DESTINIYではレイ・ザ・バレルが「実際、俺にはもうあまり未来はない。テロメアが短いんだ。生まれつき。俺は、クローンだからな」と語っていたりする。クローン羊のドリーもテロメアが短かったそうでだから早死にしたのだという説もありましたーーが、実際にはそれが主因ではないっぽい。本書によれば、
ペトリ皿で培養している細胞のテロメアの短小化と細胞老化の関係は、個体レベルでは、まだはっきりとは解明されていません。
とのこと。
テロメア以外で気になったところ。
例えばプラナリアという生物には寿命がなく、条件次第ではずっと生き続けると言われています。
そうなんだ。
小型のネズミは長生きに関わる機能──例えばがんになりにくい抗がん作用や、なるべく長生きできるような抗老化作用に関わる遺伝子の機能を失っていったと考えられます。なぜなら、どうせ食べられて死ぬので、彼らにとって長生きは必要ないのです。そういう意味では後でも出てきますが、ヒトの老化を研究するためにマウスをモデル動物として採用するのは、あまり良くないのかもしれません。つまり、ヒトとマウスの死に方は違うのです。
食品添加物とかで、マウスにこれだけ与えたら癌になって死んだ、みたいな話が出てくることがありますが、その手の話はまず量が非現実的なほど多いことがある、という問題のほかに、こういう面もあるんですね。
ハダカデバネズミについて。ハダカデバネズミといえばDPZのべつやくれいさんですが、
https://dailyportalz.jp/kiji/hadaka-deba-nezumi-watcher
それはさておき。
そして肝心の死に方ですが、これがまた不思議で、若齢個体と老齢個体でその死亡率にほとんど差がありません。つまり年をとって元気のない個体がいないのです。
原子核みたいだな。確率的に死ぬ。
ところで。
室町時代の平均寿命はなんと16歳です。
いくらなんでも短すぎるのでは。本当かねえ。乳児死亡率はそりゃ高かったんでしょうが、そうだとしてそれが記録に残っているものか。
ChatGPTに聞いてみたら、
「室町時代の平均寿命16歳」という数字自体には、一応出典につながる系譜があります。1996年の鈴木隆雄『日本人のからだ』などに、室町時代の出生時平均余命を男性15.2歳、女性17.3歳程度とする表があり、これは出土人骨の推定死亡年齢から復元した値とされています。
しかし、これを現在の人口統計と同じ確度の数字として、
室町時代の平均寿命はなんと16歳です。
とだけ書くのは、少なくとも三つの点で問題があります。
として、三つの点とは
- 実測された人口統計ではない
- 乳幼児の骨は資料として著しく偏る
- 「室町時代全体」の値としては精密すぎる
だそうだ。
この本には「変化と選択」という言葉が何度も何度も出てくるのですが、進化の話ならなぜ普通に「変異と淘汰」という言い方にしないんですかね※1。一般向けに分かりやすくした、ということなんでしょうか。
この本、後半ではなんだか突然教育について語りだしたりするんですが、
ここからが重要ですが、次に子供たちに教えないといけないのは、せっかく有性生殖で作った遺伝的な多様性を損なわない教育です。ヒトの場合には、多様性を「個性」と言い換えてもいいと思います。親や社会は、既存の枠に囚われないようにできるだけ多様な選択肢を与えること、つまりは単一的な尺度で評価をしないことです。
生物学的に多様性があると生き残りやすいという話を、教育における「個性尊重」の話につなげるのはどうなんですかね。生物としてこうだから人間もこうあるべき、ってのは結構危ない発想だと思うんですが※2。
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