例によって読書記録です。旅の本とか続いたので今度はちょっと難しい本。「知性の罠」。
アフィリエイトリンクです。
https://link.amazon/B01dYIofe
副題に「なぜインテリが愚行を犯すのか」とあります。
本書は「キャリー・マリス」という生化学者の話から始まります。この人コロナ禍の時にさんざんお世話になったあのPCR法の生みの親で※1その功績でノーベル賞をもらったような人なのですが、明らかにばかげた主張もしている。本書にも載ってますが、Wikipediaから引用します。
本人曰くコッホの三原則に反しているという論拠に依るエイズの原因はHIVではないというエイズ否認論者であると共に、フロンガスによるオゾン層破壊や地球温暖化を否定することなどでも知られる。
他には、本書によれば、エイリアンに誘拐されたと主張しているとか、占星術に入れ込んでいるとか。
他には、心霊主義に傾倒し、有名な「コティングリー妖精事件」で子どもの作った妖精の写真(絵を紙に描いて切り抜いてピンでとめた)にコロッとだまされたコナン・ドイルの話なんかも出てきます。
「コティングリー妖精事件」の写真。画像はこちらから。
https://blog.scienceandmediamuseum.org.uk/the-story-of-the-cottingley-fairies-shows-that-image-manipulation-is-nothing-new/
絵にしか見えない。子どもの描いた絵にしてはまあ達者だとは思うけど。
興味深いのは、コナン・ドイルが騙されたという事実そのものより、あらゆる疑義を否定するために執筆した膨大な量の文章である。写真をよく見れば、切り抜き同士を留めているピンも見つかる。しかし他者の目にはピンと映るものが、コナン・ドイルの目には妖精のへそに見えた。妖精が母親と子宮のなかでへその緒を通じてつながっている証というわけだ。妖精の存在を証明するために、近代科学の知見まで引き合いに出している。電磁気の理論を踏まえ、妖精の体は「人間の目には見えない短い、あるいは長い振動を発する物質でできている」と書いている。
キャリー・マリスにしろコナン・ドイルにしろ、大変頭のよい人のはずで、そういう人が明らかに間違った話に飛びつき、しかも矛盾を指摘されても頑迷にそれを支持する。つまり、IQで測るような知能のほかに、知的謙虚さとか好奇心とか、「しなやかマインドセット」とか、人生を賢明に生きていくにはそういう特性が必要で、かつ、それは訓練で伸ばすことができる、というのが本書の主張です。訓練で伸ばせるかどうかの定量的な根拠は薄い気もしますが、希望は持てますね。
賢い個人が愚かな判断をする、という話だけでなく、集団が愚かな判断をする例も出てきます。BP社の2010年メキシコ湾原油流出事故とか、NASAのスペースシャトルチャレンジャー、コロンビアそれぞれの事故とか。
この3つの事故は、どれも、前兆になるような小さな事故が何度も起きていて、それ故に「たいしたことない通常の状態」とみなされるようになってしまっていたんですねえ。
ところで、この本、どういうわけか妙に日本を推しています。
被験者は25歳から75歳までで、アメリカでは知恵は年齢とともに着実に高まっていた。人生で多くの経験を積むと、よりオープンマインドになることを示す、心強い結果だ。それは思考力に関する他の研究成果とも一致していた。たとえばブルーン・ドブルーンの「成人の判断力」のテストでも、年配者ほどスコアは高い傾向が見られた。
しかし東京での実験結果はまったく違うパターンを示しており、グロスマンは驚いた。若い世代の日本人はすでに年配のアメリカ人並みの知恵を示しており、年齢に伴う急激な知恵の上昇は見られなかった。どういうわけか日本人は25歳までに、アメリカ人が何十年も人生経験を積まなければ身につけることのできないような人生の教訓を学んでいたのだ。
日本の生徒たちのほうが大人になると直面する、現実世界の複雑で微妙で曖昧な問題に対処する備えができている。そしてそれはオープンマインドで柔軟な思考力のテストにおいてスコアが高いことに表れている。さまざまな研究で、議論の分かれる環境問題や政治問題について聞かれたとき、日本人(そして他のアジア諸国の人々)は反射的に答えるのではなく、時間をとって熟慮する傾向が見られる。そして相反する立場を考慮し、さまざまな政策の長期的影響を考えようとする。
そうかねえ。
そして、そういう賢い日本人を養成する教育のシーンとして挙げられているのがこんなシーン。
ミシガン大学の大学院生だったスティグラーは、初めての研究旅行で日本を訪れており、仙台市で小学4年生の授業を観察しているところだった。この日は立方体の描き方を学んでおり、子供たちにとってはそれほど簡単な作業ではなかった。生徒たちの様子を見回っていた教師は、とりわけできの悪い図を描いていた男の子を見つけ、黒板に描いてみなさいと命じた。みんなの前で。
元教師だったスティグラーは、すぐに興味を持った。なぜ一番上手な子ではなく、一番できの悪い子を選んだのか、と。まるで有益な演習というより、見せしめのようではないか。
少年の受難は続いた。少年が黒板に線を引くたびに、教師はクラスメートに合っているか、と尋ねる。子供たちが首を振ると、また描きなおしだ。結局少年は45分間、黒板の前に立ちつづけ、間違いを全員の前でさらすことになった。
いやこれ単にひどい話だと思いますよ私は。
この記事へのコメント:
コメントを書く
名前: