雑記帳 0035(2004/10/28〜)


宗教な話(2004/10/28)

たとえば2ちゃんなんかで「Java信者」とか「OO信者」とか「GNU信者」 とか言ったとき、それは「何かを盲信的に信じて自らの思考を停止している」 という意味で相手を揶揄する言葉じゃなかろうか。 ○○信者であることをもって「偉い」ことには、通常ならないと思う。

でもいわゆる伝統宗教(つまりオウムのような新興宗教は除外して)の世界では、 「信心深い」ことは「偉い」方に直結してないか? と思ったりする。

いやその、これはある種タブーというか、 こういうことを言うにはかなり勇気がいるんだが、 宗教ってのはまずその前提条件として「思考停止」があると思う。

世間には 創造論をマジで信じている人※1 なんかが結構いたりして、しかもアメリカだとそれがかなり多いらしくて (進化論を正しいと考えている人は11%くらいしかいないらしい)、 どうもブッシュもそうらしい なんて話を聞くと、はっきり言って私は怖い※2

進化論がどうとか、黙示録がどうとか、今言ってるのはそういう話ではなく、 「根拠よりも自らの信じるドグマを優先させる人」が怖い。

今こそ、知識人が、信仰をもつ人々に反対して、立ち上がって 「もう十分だ!」と叫ぶべきときだ。
---リチャード・ドーキンス「悪魔に仕える牧師」

さすがにネタがネタだけにどうにもまとまらないけれど、 まあ何ですな。 以前2ちゃんだったかで「前橋信者」を名乗ってる人がいたんだけど、 それは勘弁して欲しいです (もし皮肉なら、まあしょうがないですが)。

私の主張に同意する人がいてくださればもちろん嬉しいですし、 根拠を挙げての反論も歓迎します(最終的に「好み」や「優先度」 の問題に落ち着くようなことは結論は出ませんけど)。 でもねえ、少なくとも私は信者は求めてないですよ。

もちろん、盲目的に反対するだけの「敵」も願い下げですが。


またまた雑記(2004/11/25)


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