雑記帳

今頃「ことのは騒動」について(2006/5/29)

なんかねえ、1文書1HTMLにしようとか方針変更しておいて、 初回のネタはあんなので、 以後1年近く放置ってのはねえ…

まあ、それはさておき。「ことのは騒動」について。

ブログ界では有名な話なんだけど、 それ以外には広く知られてはいない話だと思うので簡単に説明すると、 「絵文録ことのは」 「備忘録ことのはインフォーマル」 というブログを運営し、ブログ界ではかなり有名で、本も何冊も出し、 「アルファブロガー」の称号を得ていた松永英明氏が、 つい今年のはじめまでオウム(現アーレフ)の信者であったこと、 それもかなり幹部に近い位置にいて、かつては 河上イチロー 名義でネット上でさかんに活動していた時期もあったことが発覚し、 ブログ界隈で散々バッシングされている、という事件(?)が起きている。 まあ松永さんがオウム信者であったことが発覚したのはずいぶん前の話なので、 いまさら言及するのもどうか、とも思うけど、 まだぐずぐず続いているようでもあるので。

この件に関する松永さんのカミングアウトはこちら。

http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060313#1142201603

この件に関する私のスタンスをまず言わせてもらえれば、

松永氏がかつてオウムの信者であろうと、あるいは仮に今も信者であったとしても、 それを理由に氏をバッシングするようなことがあってはならない。

というものである。

確かにオウムは松本サリンとか地下鉄サリンとかで多くの犠牲者を出した。 そして、 それについては警察の捜査が入り有罪とみなされる人は逮捕されて裁判を受けている。 日本は法治国家なのだから、 司法が有罪とみなさない人を個人が吊るし上げるのは私刑であり、許されない。以上。

これだけで理由としては十分だと思うのだが…

オウムが、麻原の空中浮揚などというヨタ話を信じ込んだり 麻原の風呂の残り湯なんぞをありがたがったりするキチガイ集団だから、 何をするかわからないという恐怖がある、というのであれば、 では、キリストが湖の上を歩いたなどという話を信じ込んだり キリストのチンコの皮をありがたがったりしている連中はどうなのか ※1

別に話は宗教に限らない。マイナスイオンやトルマリンを「信じて」しまうのは、 これを疑うにはある程度の科学の素養が必要だろうから置いておくとしても、 「水からの伝言」なんて、 「水が日本語を解釈するはずないじゃないか」という反論は小学生でもできるはずで、 にもかかわらず、 教師のほうが道徳の授業に使ったりしている。 これを信じてしまうような人はオウム信者を笑えない、と私は思う。

オウムは殺人をするような危険な宗教だ、と言うなら、 キリスト教の神だって 殺人を命じるわけだし、 9.11のテロには政治的なものを含め様々な理由はあったにせよ、 イスラム教があれを正当化する方向に働いたのは間違いないと思うし。

結局、何を言いたいのかというと、

人間なんてのは、ある状況に置かれたら、第三者から見てアレに見える話でも 「信じて」しまうものなのであり、 「信じて」しまった状況下では、殺人さえも行う可能性がある。

ということである。

戦争というのはまさにそういう状態なのであって、 南京…とか書くと面倒くさそうなので置いておくとしても、 当時の日本人にとって米英は鬼畜だったわけだし、 ナチスでホロコースト(まあこれにもあったなかったの論争があるのは 知っていますが)を行ったSSだって、 家に帰ればよき父よき息子よき夫であったに違いないし、 日本に原爆落とした米兵や、 北朝鮮の工作員だっておそらくそうだろう。

オウムは確かに許しがたい犯罪行為を行った。

で、直接の実行犯や、教唆した連中は続々お縄について裁判中である (そしてもちろんこれは正しい)。

しかし、松永さんは、オウムがサリンを撒くなどという計画は そもそも知らなかった ようだし、実際警察に逮捕されていないところからしてもそれは事実だろう。 常識で考えても、こんな派手な犯罪行為を行うときは、 計画を知るものは最小限に抑えるはずだ。 実際に手を下したわけでもない、 それどころか計画を知りもしなかった犯罪行為で責め立てられても困るというものだろう。

「いや、でも松永は、オウムがそういう犯罪を行ったことが明らかになった後も オウムを脱退しなかったじゃないか!」という意見もあるだろう。

オウムが犯罪組織であることがわかったのに、まだオウムに残るなんて理解できない? ――もっともだ。私も理解できない。ていうかキモい。もっとはっきり言えば怖い。

でも、だからといって、松永さんの思想信条の自由を侵害できるわけではない。

そりゃ、またサリン撒かれちゃかなわんから、監視は必要だろう。 松永さんの言葉を信じるなら、 普通に考えれば人権侵害と判断されるような監視がオウム(アーレフ)に対しては 行われているようだ。 これについては、「公安ちゃんと仕事しているなあ」と私も思う。

でも、行動を監視(規制)することはできても、 人の心の中までは手が出せるはずがないし、手を出してはいかんだろう。

つか、現実的な危険としてなら、一介のブロガーがオウム(アーレフ)信者であることよりも、 現在世界で最高の権力を持つ男が アレ であることの方がずっと問題ではないのか。




と、だいたいここまで書いたあたりで、 滝本弁護士へインタビューを読んだ※2

現状認識について、滝本弁護士と私は非常に近いと思うのに、 結論がこれほどかけ離れるのはなぜだろう…

松永さんだけじゃなくて、サリン撒いた人達もいい人なんですよ。 これは烏山の講義なんかでも言って嫌がられたし驚かれたけど、 それが極めて大切であって、サリンを撒いた人たちもいい人達なんです。

これは私もそうなんじゃないかと思う(会って話したわけじゃないけど)。

ドイツやなんかだと、ナチスマークをするだけで捕まるでしょ? ナチス擁護の発言をするだけで、客観的事実に反していることを言うだけで捕まるよね。

これは今回の騒動で私も思い出したことのひとつで――でも結論は反対なんだよな。 実際にホロコーストがあったことが確実だったとしても、 反ナチス法はやってはいけないことだと思う。

オウム真理教というもの、麻原を観想する人はただの一人も許さないんだと、 国家じゃなくて社会に於いてそういう態度でいて欲しいのね。 そうじゃなきゃオウムはなくならないですよ。

そりゃあそう思うけど。洗脳でもしようというのだろうか。

以前も書いたように、私自身は、はっきり言って宗教は嫌いだ。 憲法20条で信教の自由が特別扱いされていることに不満を覚える。 どうしてこう宗教だけが特別扱いされなきゃいかんのかと。

でも、ことさら信教の自由とか言い出すまでもなく、 内心の自由は民主国家の基本だろう。

オウムだろうが麻原だろうがイエスだろうがモハメットだろうが、 信じるのは信じる奴の自由。そしてもちろん、 「どうしてそんなの信じられるの?」と突っ込むのも自由。

私にとっては、(今となっては)非力なオウムなんぞより、 この自由が侵害される社会のほうが、 ずっと怖い※3

関連リンク:

「趣味のWebデザイン」より:
すべて杞憂に終ってほしい
「国民宿舎はらぺこ 大浴場」より:
松永氏がらみ、雑感
「医学都市伝説」より:
「ことのは」騒ぎについて
「Amor Mundi 〜Yes, but yet, life is so beautiful〜」より:
ことのは騒動とネット蝿に関する雑感



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