雑記帳 0031(2003/11/21〜)
いろいろありまして、ずいぶんご無沙汰してしまいました。
今月の初めには樹海をさまよったりしてました。 いや、単に河口湖周辺に温泉に浸かりに行って、 風穴や氷穴を観光するついでにちょっと通っただけなんですけどね。
で、樹海入り口にあった看板がこれ。
やはり青木ヶ原樹海はまだまだ自殺の名所のようです。 しかしこの看板の裏側に、この落書きはいかがなものか。
ビラも配布されていた(箱に入ってて、ご自由にお持ちください形式)。 その文面は、打ち込むのが面倒なのでGooleしたら こちらで見つかった。 ただ、一般に、なにしろ個人ページというのは簡単に移転・消滅してしまうものなので、 いちおうここにもコピペしておきます。
ち ょ っ と 待 っ て !
も う 一 度 考 え よ う !
〜生への呼びかけ〜あなたはまさか自殺しようなどと考えてはいないでしょうね。
この樹海に入って自殺すれば、人目にもふれずに、静かにひっそりと 死ねると考えているかもしれませんが、とんでもないことです。
樹海内の自殺遺体は、入山者等により、しばしば発見されていますが さらに、家人等の依頼により捜索をして、そのほとんどが発見されております。
発見された遺体は、ほとんどが白骨か腐乱で、鳥獣や野犬に食い荒らされ、 白骨は満足な形でなく、腐乱死体は鼻をつく臭気の中2〜3cm もあろうウジ虫の盛り上がりがあり、その姿は思わず目をそむけたくなる 非常に無惨なものです。
家族、知り合いの方々の悲観にくれる姿を 思い出し、どんな理由があろうとも思い直して、 今すぐ家族に連絡するなり、警察に相談に来て下さい。
このビラは二つ折りで4ページの冊子形式になっており、 見開きには樹海で自殺しようとした人の体験談が載っています。
しかしまあ、自殺したいなら方法はいろいろあるだろうに、 わざわざこんな山奥まで出かけてくるというのは、 やはりこのビラにあるように 「人目にもふれずに、静かにひっそりと死」にたい、 と思っている人がそれなりの数いるってことだろう。 でも上のビラによれば、実際には 樹海に分け入っても「静かにひっそりと死ねる」わけではないらしい。 いや、「そのほとんどが発見されております」って具体的に何%? とか、 母集団は何? とか、 誰にも知らせず樹海に来たら家族から捜索願いが出ることもなかろうに、とか、 突っ込みどころはいくつかあるけれど。
自殺しようと思いつめてる人にとって「命は親から頂いた大切なもの」 とか「もう一度考えよう」なんてのはやっぱりちと陳腐なのであって、 自殺を防止したいなら、ビラといわず看板の先頭部分に でっかい文字で 「ここで自殺しても必ず見つかっちゃいますよ!」 とでも書いておく方が効果的な気がするんだけど、どうだろう。
それはそうとこのビラ、「ちょっと待って!もう一度考えよう!」の部分は おそらく4倍角、「〜生への呼びかけ〜」の部分は横倍角なんですな。 なんというか、久々に見ましたですよ。
実は、いや今更実はってことはないのかもしれないが、私は結構酒を飲む。 現在、週に1日の休肝日は作っているが、 それ以外の日は量の多少はあれどたいていの日は何かしら飲んでいる。 家で飲むこともあれば、ひとりで飲み屋に寄ることもあり、 アルコールの消費量は、贔屓目に見ても平均よりかなり上のはずだ。
今のところ特に健康に害が出ているとか 二日酔いで会社を休むとか警察の厄介になったとかいうことはないのだが、 やっぱり酒を飲めば金はかかるし、翌朝の体調は悪いし、 眠くなってWebページの更新とかも滞るし、 たいてい何か食べながらなので腹に肉が付いてくるし、と、 ろくなことがない。
というわけで---うちの会社は毎年2月に健康診断があるので、 とりあえずその日まで(何か間違ってる気がするが)、断酒をしてみようと思う。
ただ、別に現在ドクターストップがかかっているわけじゃなし、 そんなに厳密なものである必要はないので、以下のように例外規定を設けることにする。
いかん、なんだかとんでもないことに挑戦しようとしてる気がしてきた。 大丈夫か俺。
というわけで私の周りにいる人は、これからは、今までにもまして 頻繁に飲みに誘ってくださいな(やっぱり間違ってる気がするが)。
断酒継続中。とはいえ年末の忘年会シーズンで、 既に5回は飲み会があったからこういうのを断酒と言ってよいかどうかは知らないが、 断酒してなきゃ25回飲んでたのが5回に減ったと考えればたいした進歩かな、 とも思う。まあ飲み会では普段よりたくさん飲むから、 総量がどれだけ減ったかは疑問ではあるが。
で、今回のネタなんですが、
ネット上じゃ手垢の付いたネタだけど、「雰囲気」を「雰因気」と 間違えて覚えている人は多いらしい。Googleすると こんなにいっぱい、 中にはさらにこれの誤字バージョンとして 雰困気なんてのも存在するようだ。
仮名漢字変換で出ないのにもめげず、おそらくは辞書登録までして「雰因気」と 書いてる人がこれだけたくさんいるということなんだけど、 ここで不思議なのは、「ふんいき」を「ふいんき」と聞き間違えることって そんなにあることだろうか、ということである。 少なくとも私には、このふたつの発音は全然違うように 思えるんだが。
似たような(?)話として、子どもが「おごってもらう」というのを 「おもってもらう」と間違えて覚えている、ということもよくあるように思う。 少なくとも私の小学生時代には、「おもってもらう」だと思っている奴は 周囲にいたし、さくらももこがちびまるこちゃんの単行本の1ページエッセイで 「子どもがよくする間違い」と書いてたような記憶があるから、 おそらくこの間違いは日本全国にあるんだろう。
「おごってもらう」と「おもってもらう」じゃ、片方に濁点が入っているだけに、 聞き間違えることはまずないと思うんだけどなあ。
たとえば「国旗掲揚」を「こっきけいおう」と聞き間違えるのならともかく…
え? そんなの聞き間違えるのお前だけだって?
いやその確かに私は子どもの頃「こっきけいおう」だと思ってましたとも。 結局この手の間違いは、それを実際に犯している/ていた人でないと 「なぜ間違えるのか」は理解できないもんなんだろうか。
今年最後の雑記のタイトルが「シャットダウン」というのは、 ちょうど時期に合っているのかどうか。どうでもいいけど。
Windows系のOSは、ちょっと前まで、シャットダウンするときには ダイアログが表示され、その中のコンボボックスで「シャットダウン」なのか 「再起動」なのか(あるいはログオフなのか)を選ぶようになっていた。
このコンボボックスが、Windows98からだったと思うが、 「直前の操作を記憶している」という仕様に修正された。 つまり、 直前に再起動をした場合には、次にこのダイアログが表示されたときも 「再起動」が最初から選択されているわけだ。 おかげで、シャットダウンしたかったのに再起動が始まってしまい 涙を飲んだ人も大勢いるはずである。
さらに、これは余談だが、WindowsNTではシャットダウン終了後 「電源を切断しても安全です」というダイアログが表示され、 それはいいのだが、そのダイアログの、普通なら「OK」ボタンがある位置には 「再起動」のボタンがあって、「ダイアログを読んで納得したらOKを押す」という 条件反射ができている多くのユーザは、 「再起動」のボタンを反射的に押してしまい、これまた長ったらしい 再起動に涙を飲むことになるのであった。 さらに余談だが、WindowsNTは、デフォルトではログオフしたいときでも 「シャットダウン」からメニューを辿らなければならなかった気がする。 これって操作に慣れないユーザには結構怖いんじゃないか。
そうそう、コンボボックスが「直前の操作を記憶している」という話だった。
人間、ある操作をする人は、次にもその操作を行う確率が高いわけで、 この手のGUIが直前の操作を記憶しておいてくれることは通常は「よいこと」である。 しかし、そうそう再起動ばっかり繰り返すユーザはいないはずで、 いやサーバマシンなんかは「再起動はすることがあってもシャットダウンは決してしない」 ことも多いのかもしれないがそういうマシンはそもそもそう頻繁に再起動もしないはずで、 直前の操作を記憶してくれても、メリットはあまりないと思われるがどうか。
いや、設定変更などの時には再起動を繰り返し行うことも多いから、 それを考えるとこの仕様にもある程度の妥当性はあるのかもしれない。 ユーザインタフェースを考えるときは、この辺のトレードオフが難しい。
…が、これらは全て昔の話、WindowsXPに至って、 この問題には抜本的な解決がなされた。 知っている人が多いと思うが、XPの終了ダイアログはこんなのだ。
これなら完璧、「再起動」が記憶されて意図せず再起動が走ることもないし、 再起動ばかり延々と繰り返す際の手間も最低限に抑えられている。 やったぞMicrosoft! すごいぞMicrosoft!
…と思うより前に、「これを思いつくのに今までかかったんかい!」と 思ってしまうよなあ、やっぱり。
まあ人のことばかりも言えない。 私も仕事柄ユーザインタフェースを設計することも多いが、 複数候補から選択だというので迷わずコンボボックスにしたら、 同僚なりお客さんなりから「この数ならボタンを並べたほうがいいんじゃないか」と 指摘されたことは何度もある。 思考はいつでも柔軟にしておこう、というのが教訓ということなのかな。
それでは皆様、本年は大変お世話になりました。よいお年をお迎えくださいませ。
全然関係ないが、私の小学校の頃の校長先生の名前は「飯尾利夫」(いいおとしを)だった。