雑記帳 0038(2004/1/29〜)
ええと、本年初の更新になります。あけましておめでとうございます。
って今頃書くのはバカですか。
年が明けると同時に断酒も明けましたが、酒飲んで良いことがあるわけでもないので、
年明けからは休肝日を週2回にしています。
…と、自分にプレッシャーを与えるために、ここでも宣言してみる。
最近の掲示板でのやり取りとかもあって、
久々に2chのプログラム板のOO関係スレとか見てみたりしたんだけど、
つくづく思ったのが、タイトルの通り「言葉の上だけの議論は空しい」
ということ。
雑記帳ではプログラミング関係の話はあまり出さないつもりでしたが、
今回は、ある程度プログラミングを知ってないと意味がわからない話だと思います。
わからない人すみません。
たとえば、「クラスは構造体に毛が生えたようなものだ」と言うと、
これに対してえらく過剰に反応する人がいる。
しかし、Javaでこんなクラスがあったとして、
class Point {
public int x;
public int y;
}
こんなのは、Cの構造体と何ら変わるところがない。
オブジェクト指向はカプセル化だっ! とばかりに、
class Point {
private int x;
private int y;
Point(x, y) {
this.x = x;
this.y = y;
}
public int getX() {
return x;
}
public int getY() {
return y;
}
}
こんなimmutableなクラスにしたところで、
これが座標というデータを抱えるものである以上、
構造体的な側面は持っている。
もちろん、Javaのようなオブジェクト指向言語では、
通常のCプログラマが構造体を使わない局面でもクラスを使うから、
CプログラマがJavaを覚えるなら、そこで発想を広げてもらわなければいけないけど、
とっかかりとして「クラスは構造体に毛が生えたようなものだ」
と教えるのが悪いとは私には思えない。
もちろんこれは私の考えで、
「クラスは構造体に毛が生えたようなものだ」
なんて教えるとこれこれこういう誤解を招くからよろしくない、
という意見はあってもいい。
問題は、「クラスは構造体に毛が生えたようなものだ」と言うのなら、
それを誰に向かって、どんなコンテキストにおいて言うか、
および受け手がそう聞いてどう思うかなのであって、
「クラスは構造体に毛が生えたようなものだ」
という言葉自体をもって間違っているとは言えないはずだ。
いや、これがたとえば「Javaにはsizeof演算子がある」とかなら
それ単体で間違いだろうけど。
同様のことは「Javaにはポインタがある/ない」論争でも言える。
だいたい、Javaの文法レベルで誤解していない人間同士が
「ある」か「ない」かの議論をしてもしょうがないわけで
(だって、どちらも言語の本当の実態は知っていて、その点では同意しているのだから)、
問題は、「Javaにはポインタがある/ない」という言葉を聞いて、
受け手がどう解釈するかではないか※1。
また、実例も出さずに「オブジェクトは現実世界のモノだ」とか
「オブジェクト指向は自然だ」などと言ってもはじまらない。
まあ、たとえばある具体的な設計があって、
「オブジェクトは現実世界のモノに対応すべきだからこの設計はよい/よろしくない」
という議論は有益な場合もあるが、それは双方が
「オブジェクトは現実世界のモノに対応すべき」かつ、
「このプログラムはオブジェクト指向であるべき」という認識を持っていて
初めて成立する議論のはずだ※2。
私も、本とかはもちろん、会社の仕事やWebページでもいろいろな文章を書いているわけで、
書くことが単なる「言葉遊び」にならないよう、自戒していきたいと思う
※3。
あ、なんか新年の抱負っぽくなった。…って、これまた今頃書くのはバカですか。
- ※1おまえが今更何言ってんだ、
と思う人がいるかもしれないが、私はたとえば「Java謎+落とし穴」の中では
「C/C++のポインタとJavaのそれとの違いを指して、
『Javaにはポインタがない』と主張するのもよいでしょう。
意味的な誤解さえ招かないようにしていれば」
と書いてるんですがね。
そう解釈されなかったのなら、それは私の側の、若さゆえのあやまちという奴か。
- ※2その、お互いが持っている共通認識が、
本当に正しいかどうかはまた別の話。
- ※3「言葉遊びはよくない」というのも言葉遊びだろうが、
「言葉遊びはよくない」というのも言葉遊びだ、というのもまた言葉遊びだ。
――自分でも何言ってるんだかわからなくなったが、
「具体例から離れるのはよくない」ってことだね。
断章(2005/2/28)
忙しさにまみれているうちに2月も終わりが近づき、
この雑記帳は最低でも月に一度は更新しようと思っているので、
以前から考えてはいるもののまとまらないネタを、
まとまらないままに書いてみる。
- たとえば、男が小学校に乱入し、小学生を片っ端から包丁で刺し殺したとする
(あんまりたとえばでもないかな)。
さて、この男に対して与える刑罰はどうあるべきか。
- 「そんな奴は死刑が当たり前だ! 遺族の気持ちになってみろ!」と叫ぶ人がいる。
さて、そんな事件における遺族の気持ちなんて、
私にとっては「想像を絶する」としか言いようがないので、
「遺族の気持ちになってみろ!」なんて言われても困るんだが、
そりゃあ愛する子どもを殺されれば、取り乱し、正気を失い、
「あんな奴は死刑にして欲しい」と思うこともあるだろう。
でも、何も第三者である我々が、取り乱し、正気を失うことはない。
まして、司法が、取り乱し正気を失ったら大変に困る。
- 世の中には、いろいろな価値観を持った人がいて、
それぞれの価値観は尊重されなければならないと思う。
モラルってのは究極的には「人に迷惑をかけないこと」だ。
その範囲内で何してようと文句を言われる筋合いはないし、
もしそれを逸脱したら、それなりの刑罰が待っている。
現状で、最高の刑罰が死刑だ。
- しかし世の中にはいろいろな価値観を持った人がいるんだから、
中には自分の命が惜しくない人もいるだろう。
日本には、もともと毎年3万人もの自殺者がいるわけだし。
死を怖れない人にとって、死刑は抑止力たりえない。
- 死を怖れない人に限らずとも、たとえば無期懲役ともなれば、
まあ20年くらいはシャバから隔離された生活を送らなければならないわけだ。
「死刑は怖いから嫌だけど、20年刑務所入るのならまあいいや」という判断のもと、
人を殺すことがありうるだろうか? ちと私には想像がつかないんだが。
- 少年犯罪についても、よく刑罰が軽いと言われるが、
殺人レベルの犯罪を行えば、いくら少年でも、
とにかく相当「面倒くさいこと」になるということぐらい、
小学校高学年なら想像はつくと思うんだよな。
殺人なんかやる奴が、
メリットとデメリットを冷静に秤にかけているとはどうにも信じがたい。
じゃあ厳罰化したって意味がないじゃないか。
- 少年犯罪を厳罰化するのなら、むしろ万引きとか窃盗の類だろ。
こういうことをする奴らは、バカなりに損得勘定してるから、
厳罰化の効果があると思う。
芸能人が昔の犯罪行為を自慢げに語るようではこの国は終わってる。
- 我々がふつう人を殺さないのは、「人を殺せば捕まるから」ではなく、
「残酷だから」だろう。
ペットショップで猫買ってきて、自分の部屋の中で首チョンパして殺す分には、
まず警察に捕まる恐れはないが(ネットに写真を流したりしない限りは)、
だからってそんなことをわざわざやる奴は滅多にいない。
- でも世の中には、日々牛や豚やニワトリを殺すのを仕事にしている人がいる。
日常的にやっていれば、残酷という感覚も麻痺していくんだろうと思う。
もちろん我々はそういう人の恩恵を受けているので、
感謝こそすれ悪く言うつもりはないと念を押しておく。
- 歴史的に言っても、人の命が軽く見られるところでは殺人も横行するわけで、
論理的に考えれば人ひとりの命が地球より重いわきゃないんだが、
そういう共同幻想を持っておくことには、一定の価値があると思う。
- その共同幻想を定義した言葉が「人権」だ。近代の社会は、
すべての人が持っている、生まれながらの、
誰からも犯されることのない権利として人権を定義した。
- ところが「人権」という言葉に嫌悪感を持つ人もいるらしい。
「人権人権と言うが、被害者の人権はどうなる!」
――あのー、「人権」を否定したいのなら、
自説の根拠に人権を持ってこないでください。
- そういや、「(未成年だったり精神障害があったりすると)
加害者は実名報道されないのに、被害者は実名報道される。これは不公平だ」
なんて意見もたまに聞くけど、加害者と被害者が「公平」である必要があるのか。
仮に加害者を実名報道したとして、
被害者が実名報道されることで被る迷惑が多少でも減るのか。
これは、シーソーに乗ったパラメタではない。
加害者の実名や顔写真が見たいというてめえの助平根性を、
被害者を盾に正当化するんじゃねえよこの下衆野郎。
- 肉親を殺された遺族の心情を土足で踏みにじるような、
ワイドショーとかのインタビューは最低だと思うが、
これを喜んで見てる奴らと、
加害者の実名報道を望む奴らは結構重なってると思うんだがね。
- 別に私は死刑制度に反対しているわけじゃない。
正直、殺人犯なんぞどうなろうが知ったことか、と思う。
ただ、死刑にするならするで、こっそりやってほしいとは思うけどね。
残酷なことが当たり前になってしまった世の中は、やっぱり不安なので。
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