雑記帳 0030(2003/7/13〜)


New PC(2003/7/13)

今まで自宅でのメインマシンは、4年前に購入したCeleron333MHzだった。

正直、自宅ですることなんてWebとメールと原稿書きくらいなものなので、 性能的な不満は特になかったんだけど、 Java Worldで連載させていただいたときJavaとCのベンチマークをやったんだけど、 その時自分の環境を書くのがちと恥ずかしかったとか、 会社で速いマシンを使っているとjavacの遅さが気になるとか、 そんなこんなでNew PCを購入することにした。

とはいえ生来の貧乏性なので、購入したのはe-machinesの一番安いやつ。 ただし、メモリがデフォルトで128Mしかない (これでWindowsXPを動かそうってのは無謀では…)のはさすがに話にならんので メモリを512M追加した。

でまあ、さくっと環境載せかえたのはいいんだけど…
# Linux側の環境はまだ。週末中になんとかしよう。

前のマシンに比べて多少うるさいのはまあそのうち慣れるとして、 キーボードがへなへななのは前のマシンの奴にでも付け替えればいいとして、 現状で一番問題になってるのは、マシンの形状そのものである。

古いマシンは横置きのタイプのデスクトップマシンで、 それをモニタの下に置いていた。机はいわゆるパソコンラックだ。

ところが最近そういう形のマシンはなぜかめったに売っていない。 しょうがないから縦置きタワーにして、 パソコンラックの足元に置いたんだけど、 立ち上がってひょいと椅子を入れるたびにぶつかるぶつかる、 ハードディスク回転中にこんなことを繰り返してたら いつか壊れるんじゃなかろうか。

足元じゃなく、少し離れた床の上に置けばいいんだろうけど、 部屋が狭いだけに空間の使用効率はちょっとでも上げたいんだよなあ。

空間の使用効率という点からすると、 古いPCをどうするかは現在思案中だけど、これをどけたところで、 モニタの上には何も置けないから結局無駄な空間ができるだけなんだよね。

まあ、こんな状況だけど、PCが新しくなったのは単純に嬉しい。 散らかってたデスクトップが綺麗になっただけでも… って普段から整理していない私が悪いんですが。


なぜ人を殺してはいけないのか(2003/8/16)

大江健三郎氏によれば、こういう質問を発すること自体問題なのだそうだが。

(孫引きですが) http://www3.ocn.ne.jp/~martha/tetugaku5.html

私はむしろ、この質問に問題があると思う。 まともな子供なら、そういう問いかけを口にすることを恥じるものだ。 なぜなら、性格の良し悪しとか、頭の鋭さとかとは無関係に、 子供は幼いなりに固有の誇りを持っているから。

聞くところによると、あるテレビ番組で少年がこの質問をしたらしく、 上の大江健三郎氏のコメントはそれに対するものらしい。 なるほど確かにテレビ番組のような公開の場で、 こんな質問は(若いころの)私だったらしないだろう。 しかしそれは、「そんなことを聞いたら周りから『危ない奴』と思われるだろうな」 という利己主義によるものであり、単に狡猾なだけで、 別に「固有の誇りを持っているから」ではないだろう。 ていうか、みんな、「なぜ人を殺してはいけないのか」なんて命題は、 子供のころに一度や二度は考えたものじゃないのか?

私もかつて「なぜ人を殺してはいけないのか」と考えたことはあるが、 当たり前だが誰かを殺したかったわけじゃない。 今回これを書く前にちょっとGoogleしてみたらこんなページが見つかったけど、

http://www2.justnet.ne.jp/~kays/qa-c33.htm

こう問うのは、質問者が人を殺すことを「悪い」を感じていないためです。従ってこの質問は、
「なぜみんなは人を殺すのを悪いと感じるのか?」
であり、
「なぜ私は人を殺すのを悪いと感じないのか?」
という問いなのです。

こういう限りなく頭の悪い一方的な決め付けは何とかならんもんか。

別に、今、人を殺すことを悪いと感じてないわけじゃない。 しかし、純粋な思考として「なぜ人を殺してはいけないのか」 を考えることは決して無意味なことじゃないと思う。

そして実際のところ、この問いに対して答えることはさして難しくない。 「人を殺してもよい」社会では、 気に入らなければ隣の人を殺しても罰せられることはないだろうが、 代わりに自分が殺される可能性もあるわけで、 そんな社会には安心して住んでいられないし、 構成員が安心して住んでいられないような社会は維持発展できないだろう。 そして、これは裏を返せば、その社会以外の人であれば殺してもかまわない、 ということに繋がるわけで、要するにそれが戦争だ。

また、それとは別に、石ころにだって感情移入できるのが人間、 たとえ自分が殺される側に回ることがないとわかっていても、 人が殺されるということは「残酷だから」よくない、という感情もあるんだろう。 家を荒らすネズミを粘着シートで捕まえたとして、 それを殺すのに抵抗を感じる人は少なくないはずだ。 「残酷だからよくない」という発想があるから、 同じ人を殺すのでも、BC兵器とかは禁止されてるわけだ。 正直、どうせ殺すんなら残酷もクソもないような気もするけれど。

で、何を言いたかったのかというと、

「なぜ人を殺してはいけないのか」を考えたこともない人が、 死刑制度の是非とか、戦争の是非とかについて語ることができるのか?

ということなんだけど。

いやさ、私は時事ネタにはかなり疎い人間なんだけど、 犯罪とか戦争とか、そういうことが起きるたびにネットの掲示板などには 様々な意見が書き込まれるんだけど、 どうもそれが整合性が取れてないというか、 ダブルスタンダードというか、そういうのが多いような気がしたので、 思うところをちょっとだけ書いてみた。

この手のことについては思うことはいろいろあるんだけど、 なかなか文章にまとまらなくて、なんとも。


ネットで音楽購入(2003/9/7)

私ときたらろくにTVも見ない…というより、 部屋にTVはあるけどアンテナが繋がってないという、 かなり世間から隔離された生活を送っている人間であるわけだが、 TVは見なくても、外食したときに店にかかってる有線とかで、 音楽に触れる機会はある。

で、断片的な歌詞からGoogleで検索すると、 曲名までは運良くわかることもあるのだが、 私としてはそのままさっくりその曲をネットで購入したいと思うのに、 その手段がどうにもわからずにいた。

が、先日、ひょんとしたことで(そう、私は結構「ひょん男」なのだ) クリスタルキングの「大都会」を聞き、どうにも欲しくなったので、 ちょっと調べてみた。

そして見つかったのが TSUTAYA online。 ここの 有料ダウンロードサービスには、全4399曲が… って少ないじゃん。 ちなみに「大都会」はここにはなくて YAMAHA MUSICにあった。 こんなの、「大都会」がヤマハのポプコンでグランプリを取った曲だってことを 事前に知らなければ見つけられなかったぞ。 どうして1箇所で検索できるようにしてくれないのか。

で、配信はLabelGateから。 ここのは、 MAGIQLIPというプレイヤーが必要で、メモリースティックを除いて コピーはできない。私としてはMDでも聞きたいところなんだが、 とりあえずそれは我慢することにする。

決済には、 Web Moneyの プリペイドカードを使おうと思ったら、 これが会社の目の前のサークルKでは売ってない。 たまたま出かける機会があって ※1 そっちのサークルKで買ったんだけど、そこでも2000円のものしか売ってなかった。 この先どう入手したものだか。

まあ、そんなこんなで、購入はできたんだけど。1曲200円(税込み210円)。

正直な感想は、「こんなに不便じゃどうしようもないわなあ」ってこと。

たかが1曲200円、それこそこのページを読んでる人の中にも、 今まさに『大都会』が聞きたくなって200円くらいなら払ってもいいぞ、 と思ってる人はいるんじゃないか。 「あ〜あぁ〜果ってしない〜」ってほら欲しくなったでしょ?

どこかのサイトから、それこそ古今東西あらゆる曲が、 断片的な歌詞からでも検索できて、1曲200円なら、買う人は多いと思う。

ところが今回私が探した範囲では、「太陽がくれた季節」があったから 試聴もしないで落としてみたら「ぱっぱらっぱー」とか言ってるし (これもいいけど、古いほうが欲しかったんだってば)、 逆に最近カバーが出た「いちご白書をもう一度」を探したら古い方しか見つからないし (私が髪を切ったとき※2 には「前橋、日和ったな」とか言われたなあ)、正直、話にならんです。

フジハラさんのページとかでも現状の配信の不便さについて言及されてますけど、 コピーもできないという話以前に、曲がないんじゃどうしようもない。 いや、私が不勉強でそういうサイトを知らないだけなのでしたら、 ぜひとも教えて欲しいんですが。

ところで関係ないけど、クリスタルキングってその後 「北斗の拳」の主題歌歌ったりしてたんですね。

そういやTOMCATも… と、ちょっと検索かけるだけでこういう話がぞろぞろと 釣れてくるのがネットのいいところだと思うんですがね。

音楽も、そのとき一緒にダウンロードして聞くことができればどんなにいいことか。 200円ぐらいなら払うのに。


※1 学生時代行ってたバーに久々に行ってみたんですよ。 ワインがおいしかった。

※2 髪を切るのは「就職が決まっ」た時じゃなくて、就職活動を始めるときだろう、 と思うんですが…


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