K.Maebashi's BBS 投稿フォーム
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>> 私が最初から言っているのは、「術語に過剰な期待をするのはいかがなものか」ということです。 >> 集合論で見て、サイヤ人はスーパーサイヤ人のスーパーセットですが、やっぱりスーパーサイヤ人の方に「スーパー」が付いている。そういう言葉の使い方が現実にある以上、「スーパークラス」という言葉に違和感を感じる人もそりゃいるだろうねえ、と言っているだけです。 > >そうかなぁ、とも思ったのですが、一人で3連投するのもどうかと思ったのでやめときました。 >「スーパークラス」という用語に違和感を感じるのは構いませんが、しかし「基底クラス」という言い方はもっとまずいと思うのです。前述したように、クラスは上下関係ではなく包含関係にあるからです。 >「スーパーサイヤ人の方がスーパーだ」という考えに固執していると、「サブクラス(に属するオブジェクト)は機能が多いものだ」という誤解を招きます。 >「スーパークラス」「サブクラス」という用語を使わなくても、自然に集合論的考え方ができるのであれば、それで結構だと思います。 >ただ、違和感を感じるからといって否定するのでは、何かを学習することはできないでしょう。学習は違和感を覚え、それを解消することによって積み重ねていくものです。 >前にも言いましたが、「スーパークラスはサブクラスよりも『含むものが多い』という点で集合の能力が上、すなわちスーパーだ」という考え方もできます。そして、「スーパーサイヤ人は機能が多い方がスーパーなのに、集合論は機能が少ないほうがスーパーなんだ。そういうものなんだ」と違和感を感じたまま暗記するよりは、是非、違和感を解消していただきたいと思うのです。 >というわけで、俺は「スーパークラス」「サブクラス」という呼び方を布教していきたいと思います。 > >> で、集合論で考えるなら円は楕円のサブセットなのであって、それを「客観的な視点などというものは存在しません」などと言って否定してしまったら、それこそ数学を全部敵に回すと思うんですが、如何? > >「円は楕円のサブセットである」というのは、集合論が決めることではありません。数学(幾何学)が決めることです。 >(どんな論理に基づくかは知りませんが)「楕円は円のサブセットである」と言っても、それは幾何学的には間違えているかもしれませんが、集合論的には間違えていません。集合論は集合の関係を提供するのみで、その中身の妥当性にまでは関与しないからです。 >そして、数学さえ真理ではありません。かつてはユークリッド幾何学が真理とされていた時代もありましたが、今では「ユークリッド幾何学は、いくつかの都合のいい前提の基にのみ成立する、一面の真実でしかない」ということは広く知られています。
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